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トルコ

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トルコ
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第18回目

オバマ大統領のチェンジという言葉がふさわしいくらい、毎日色々な経済・政治・社会のニューズが目に入り、激動の世界に入っていたなって痛感する今日この頃です。みなさんお元気ですか。なにわのこにたんです。今日はトルコの話しですよ。なんで今、トルコなのか。じっくり読んで見てね。

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吉田繁治/ビジネス知識源メルマガ
遥かな国トルコ(1)(2)(3):経済と文化のコンチェルト
http://www.cool-knowledge.com/#chishikigen

松藤民輔/講談社
『超・投資勉強法』
ISBN978-4-215216-7

カッパドキア経済評論等で有名な吉田繁治の
メルマガでなぜかトルコの話が
送られてきました。

何故、今、トルコなのでしょう?

トルコの人はとても親日的。
何故って?

それは、トルコの教科書に書いてあって、
日本の教科書には書かれていないことから
始まります。

トルコの教科書には、オスマン帝国のフリゲート艦(エルトゥール
ル号)が、和歌山県の南端、串本町の沖で難破したことが、書いて、
あります。1890年(明治23年)に台風に遭(あ)って難破し、日本
へのトルコ使節団587人が、暗い海に沈み、死にました。
陸に流れ着いた生存者はわずか69人でした。真夜中に灯台までの断
崖をよじ登った。灯台守からの知らせを受けた大島村(現串本町)の
村民は、救助に当たりました。海が荒れ、何日も漁に出ることができ
ず、食べるのに事欠いていた村民は、乏しい衣類、卵、さつまいも、
そして非常用の蓄えであるニワトリも出して炊き出しをし、遭難した
トルコ人を助けました。
明治の政府はこれを知り、援助して、翌1891年10月5日には、海軍の
船で、イスタンブールに生存者を送りとどけるため、出港しました。
このトルコ使節団の遭難と、村の人たちの献身と犠牲は、トルコで大
きく報じられ、遠い日本を、好きになるきっかけになりました。小学
校の歴史の教科書には、書かれてありトルコ人なら、子供
でも全員、このことを知っています。

かつて日本の村落共同体には「もやい(分け与える:人を助ける)思
想」があった。人は、自己を犠牲にするとき、美しい。そういえば、
愛も、自分より、相手のことを優先して考えることでしょう。
今の日本は、村を封建の思想として、村八分(村の掟に反したものを追放する)は
教えますが、美しい「もやい(連帯の思想)」は教えない。
今の日本には、歴史を封殺している部分がありそうですね。
江戸時代は立派なリサイクル文化だったてことも最近ですよね。

そして、その100年以上も後の、イラン・イラク戦争の時のこと。

1985年、イラン・イラク戦争のとき、イラクのフセイン大統領は、
イラン上空を飛ぶ飛行機の、無差別爆撃を宣言。イランには、
日本人のビジネスマンと家族が残されていました。人々は
日本大使館に集まり、パニックになっていました。

日本政府は、自衛隊の派遣はできず、日本航空も、危険があるとし
て救助のために民間機を使うことに反対があり、日本は、対応
が遅れました。

困ったイラン大使館の野村大使は、トルコのビルレル大使(イラン
駐在)に頼みました。『わかりました。ただちに本国に求め、救援機
を派遣させます。トルコ人は、エルトゥールル号の遭難のとき、貴国
の大島村の人たちから受けた恩義を、知っています。ご恩返しを、さ
せていただきます。』

イラン空港に集まっていた日本人215名は、派遣されたトルコ航空機
に乗って、トルコ経由で、日本に帰国しました。救援は、フセインに
よる、イランの爆撃開始1時間半前でした。トルコ人は、だれでも、今
も、エルトゥールル号遭難のとき受けた恩義を、忘れてはいません。

すごくいい話ですよね。こにたんは感激してしまいました。

歴史的な観点にたつと、結構、トルコと日本て似てますよね。

13世紀に移住してきた遊牧民オスマン族が、イスタンブー
ルを首都に、15世紀には、地中海をまたぐ、かつてのローマ帝国のよ
うに広大なオスマントルコ(1299~1922年)を建国します。
(中略)

オスマン・トルコは、第一次世界大戦(1914~)で、英国・フランス
の連合国に敗れ、占領される。1923年には、国父とされるムスタファ
・ケマル(1881-1938)が立ち、11世紀から8世紀も続いたスルタン制
(神に由来する王政)廃して、イスラム国では初めて、世俗的な憲法
をもつトルコ共和国になる。

日本の第二次世界大戦後の、占領で天皇親政を廃した敗戦に似ていま
す。トルコ人が日本人に抱く親近感は、近世の歴史の類似からも来ている
ようです。

おもしろいでしょ。

ところで、経済のお話。

トルコでは、1970年代から2000年代初頭まで、巨額の財政赤字
(公共事業費と不正)をまかなうため、政府がに)ペーパー・マネーを
大量に刷ったことから、物価が10万倍にもなったハイパーインフレを
起こしています。

日本人の意識からは、遠いトルコですが、政府が、GDP(≒産出さ
れる商品量)に対し、ペーパーマネー(≒国債)を刷り過ぎれば、高
いインフレ率になって通貨価値が下がります。

【今後数年は、スタグフレーション】
世界の同時金融危機の後は、スタグフレーションを含むデフレ(数年
間)でしょう。スタグフレーションは、企業利益が下がり、賃金も下
がって、物価も上がらない数年間です。その間、長期金利は、政府の
利下げにかかわらず上がる。

【その後は、インフレになる】
各国政府は、金融・経済対策のため国債を増発し、買い手が少ないの
で、結局は中央銀行に買わせます。中央銀行はペーパーマネーを刷っ
て政府に与え、それを政府が使う。

それが数年続けば、先進国でもトルコのような通貨価値の下落が認識
され、あとは、物価が上がるインフレとなりそうです。

繁栄の後、古代バベルの塔は崩れ去りました。
現代を見れば、前回の大恐慌時のエンパイアステートビル、
東京都庁や六本木ヒルズ。ドバイの1Kmの高さの塔。
現代版バブルの塔でしょうか?
すべて、繁栄の象徴は、頂点でもろくも崩れ去っています。
人類は何回も同じ事を繰り返すのですね。昔から。

歴史の中の寓話は、現代にも行き続けます。繁栄の途上に
いたときには、ただの寓話と思えたことが、苦境の時には
真実味を帯びてきます。

ドルという紙幣の大洪水に耐え得るのは世界共通通貨(金)であり
現代版のノアの箱舟なのかもしれないと思うこにたんです。

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窓ここまで読んでいただいた方には、感謝します。
タミスケは、風邪をひいてお休みです。
これから、お花が一杯咲く季節となります。
楽しみですね。
なにわのこにたん


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